2本線のユニフォーム [雑感]
1974年の西ドイツワールドカップでのお話です。
この大会ではオレンジ色のユニフォームのオランダが大活躍しました。このときそのオレンジ色のユニフォームからオレンジ旋風と呼ばれました。そのオランダの中心選手が当時のサッカー少年を熱狂させたヨハン・クライフでした。
このときのオランダはこれまた当時のサッカー少年の憧れだった3本線のadidasと契約していました。なので当然オランダの世にフォームには3本線がはいっていました。
しかしもうこのときにはオランダではスーパースターだったヨハン・クライフはすでにPumaと契約をしていました。そんなことでクライフは3本線のユニフォームを着ることを拒否しました。クライフはなんとPumaに2本線のユニフォームを作らせて大会に臨みました。
今の時代では絶対にこんなことはありえません。
しかしこのときのオランダは準優勝でしたが、優勝したときに販売するグッズというものは実は優勝決定の前に作っておかなければならなかったりします。かなりグッズが無駄になったと思います。
DALF C1まであと119日
タグ:雑感
2011-07-17 20:25
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